Vol. X, No. 135 平成十六年十一月十五日

日本のアラファト像は日本赤軍のもの

米占領に対する怨恨とダブらせる

だが敗者の実像を見よ

日本人も、日本政府もアラファトが好きだった。川口順子外相などは、彼を個人的にお見舞いし、激励・慰労し、かなりの資金を与えたものだった。日本人の庶民感覚に迎合したのだが、実は、あのアラファト像は日本赤軍の作ったものだった。

日本赤軍の全盛期、1972年5月にテルアビブ空港攻撃が起きた。24人が殺され、70人以上が負傷した。その直後にPLOのブラック・セプテンバー集団が、ミュンヘン・オリンピック会場で、イスラエル選手団を惨殺している。世界を震撼させたものだ。

日本赤軍の過激なマルクス理論の底には、イスラエル占領に苦しむ「パレスチナ人民」とアメリカ占領下の「日本人民」がダブっていたようだ。これは日本の護憲派が持つ、対米敗戦への怨恨である。